2017.10.01リフブレ通信

母校廃校に想う

私の母校(小学校)は山鹿市鹿央町にある山内小学校です。歴史をさかのぼると1876年(明治9年)大浦学校、梅木谷学校、仁王堂学校が開校され1888年(明治21年)3校が統合、山内尋常小学校となってスタートしています。私の曾祖父、祖母、両親、妹、弟、甥、姪など我が家の歴史に大きく思い出として残っている母校です。♪しら雲かかる 国見山 静かな山の ふところに 小鳥のうたを 聞きながら こころは清く からだは強く みんな元気に 伸びゆくわれら♪と、校歌にある通り山間部の田舎にあります。私達の頃は平屋の木造建築で体育館はなく4年生、5年生、6年生の教室の仕切りを外し講堂にして入学式や卒業式などの催しをしていました。私は1967年(昭和42年)卒業ですが同級生は34名、全校生徒でも180名位の小さな小学校でした。その母校が今年の3月廃校になってしまいました。同じ山鹿市鹿央町にある米野岳小学校、千田小学校も廃校となり山鹿市南島にある、「めのだけ小学校(旧:米田小学校)」に統廃合され私の故郷鹿央町から小学校が無くなってしまいました。昨年は弊社会長の母校内田小学校(山鹿市菊鹿町)も廃校となっておりこの流れは止まりません。母校廃校ということで先日25年ぶりに小学校の同級会があり3年生担任だった先生を迎え懐かしい顔ぶれ14名が集まりました。プールが無く小学校のすぐ横に流れている山内川で水泳の授業があっていたこと、うさぎ当番や豚当番をやって夏休みも休みなく世話をしていたこと、遠足や運動会のこと等々思い出は語りつくせぬほどたくさんあり話は弾みます。しかしみんな一様に思いで詰まった母校廃校の寂しさを感じていました。少子化による児童数の減少や市町村合併により小学校の統廃合が進みます。全国で平成25年度347校、26年度324校、27年度368校と毎年多くの小学校が廃校となっています。地域の皆さんや卒業生の方々は残念で寂しい気持ちが強いと思います。統廃合には「子どもが少なく、適正な教育環境が維持できない」という理由があるようです。確かに児童数が少ないと友達の数や切磋琢磨する相手が少なくなります。ソフトボールなど人数が必要な競技も出来ませんが、それだけでなく国の財政が厳しい中、統廃合によって経費を抑えるという狙いが大きいと思います。しかしあまりに進みすぎ今回のように町から小学校がなくなってしまうとコミュニティ形成の場が失われ将来に支障が出てくるのではないかと心配になってきます。実家から私の通った山内小学校は2㎞程でしたが「めのだけ小学校」までは9㎞程ありスクールバスでの通学となります。頑張れ子供達!♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷♪故郷の庭から子供の姿が消えてしまいます。残念ですが仕方ないのかも知れません。さらに、廃校の再利用についても市に提言しなくてはいけないと思います。集落が廃落にならないように。